はじめに
思い出を語るだけです。この記事は人間がおーがにっくで書いています。
思い出は優しいから甘えちゃだめなんだけど、最後だからね。
全部話しておきたいんだ。
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これはなに?
自分がいる子会社がカーブアウト、つまりグループから独立する形になったので、実質新卒で入った会社からの退職エントリーです。退職エントリー書いてみたかったんだ。
ちなみに好きな卒業の合唱曲は「流れゆく雲を見つめて」です。
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それかお別れはやはりザナルカンドにてアレンジのEnding Themeですかね。
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序章 VOYAGE GROUPを知った
2012年にTreasure / Sunrise / Guildというインターンにいった。
Treasureは研究室の先輩が例年行っていておすすめのインターンになっていた。
その先輩の一人は会社のCTOだし、自分もなんならCTOになっている。おもろい。
Treasureでチームだった一人とはまだスプラやってるし縁というのは大事だ。
SunriseはTreasureの終わりに誘われたので言ったが、何もわからなさ過ぎてよかった。
自分の心を折り、エンジニアリングの深さを知れた。
その時のチームメイトはCEOになってる。おもろい。
Guildは会社の事業部に入って仕事をするというつまりバイトするというインターンだった。
これら全てで関わる人が楽しかったからという理由で会社を選んだ。今も働く環境において変わっていない大切な軸だと思う。
第1章 新卒で入社
2014年に入社した。Guildで所属していたチームに配属。
小規模チームだけど、上長(?)のhogehikoさんは確か未踏スーパークリエータだし、ビジネス側の人はなんかあーだこーだ言ったら的確に理解して物を売ってくるしで強いチームだなと思った。
人数が少なく、誰か1人が欠けるだけで回らなくなる状態を意識すると、自分が今すぐ強くならなければ足を引っ張り続けるという環境だったので良かった。
ビジネス的な視点を持ちながら技術が必要であるという感覚は研究室で言われ続けたので思想はあったが、具体的なロールモデルが出来たのはここだったのかもしれない。
1年目の終わりを待たず事業撤退
2015年1月、1年目にいたチームが事業撤退した。撤退の仕方が微妙でだいぶもやついた。
この前カーブアウトにあたってその時の責任者の人と1on1してもらったんだけど、笑い話的に直接そのときの話を言ったりする感じではあるので、人としてというか事業責任者としてついていくと楽しそうと感じるほどにワクワクする人だったが故に、もやついたんだろうなと思った。
とはいえあの時は自分の能力がないだけなのを人のせいにしていただけで、当時もわかっていたが極めて未熟なのを人のせいにしていただけだったかな。
次に目を向けたとき、異動先はその時新しめな技術を使っていると自分の目では見えていた事業部にわがまま言って異動したいと言った。
なんならやめる気しかなかったが、力がなさすぎるのは話にならんと思って、どれだけしんどくても力をつけられるところにしたいと思っていたからだった。
力を求めすぎて闇落ちしたキャラみたいになってたな。だから元々好きだった幻想水滸伝IIのキャッチコピー認識してより好きになったのかもしれない。
第2章 2年目のサバンナ
結果としてかなりしんどかったが力はついた。しんどかったがな!!
katzchangさんとkirisさんにお世話になって技術力を得たと思う。
しんどいはしんどかったが、ペアプロやたくさんのレビューを経てめちゃくちゃ育ててもらえたなと思う。
このときScalaを仕事で初めて書いたがこれが今でも強く活きている。これがベースと言わざるを得ない。
kirisさんの設計がとてもきれいで感動した覚えがある。ゲームの志向も近かったのですんごい楽しかったなぁ。
技術力というか設計力もそうだが、なぜそのコードにするべきかの選択の指針などいろんなことを吸収出来たと思う。
それだけじゃない、本質的に仕事を進めるとしたらどう動くべきかを余分な部分を削ぎ落としながら学べたと思う。
今思えばコンフォートゾーンとパニックゾーンの瀬戸際で吸収していたんだろうなと思う。
生存バイアスの頂点みたいな成長の仕方をしたなと思ってる。
Darkの存在
Treasureのときのメンバーでコミュニティ作って四半期に一度LT会していた。
心に持った負の気持ちだけで生きていたのでDarkは心地よかった。
dark.connpass.com
少し前に以下の記事を書いたが、心地よい居場所を会社だけにしていなかったから生きやすかったんだなと思っている。
arata.hatenadiary.com
また闇の力を持ってLT会を再開したい気持ちがあるが場所と運用をどうするかだなぁ。
第3章 3年目後半に再度異動
声がかかってHR関係のチームに異動した。概ねこのまま現在の所属に至るという感じ。
正直力をつけたと思ったら辞める気満々だったので見透かされて異動させてもらえたんだろうなと思ってる。
今思ったが自分の技術的な記憶、1、2年目に凝縮されてるんだな。
そこでほとんど全てのベースがぼんやりとあって、それを活用する機会を与えられていた。
言われたものをそのまま別の場所に適用して上手くいくはずがないと思ってはいたが、思ったより上手くいかなくて一生試行錯誤し続けていたなとは思う。
結局ここでも、かなりしんどい思いはしていたのか。
活かす経験をもらえたのはありがたかったな。
第4章 7年目にプレイングマネージャー
ちょっと相談あるんだけど飲みに行かない?って取締役と事業責任者の飲みに誘われたのを覚えている。
なんもないよ!って言われたけど、その顔ぶれでないわけがなかった。
結果として、当時のマネージャーにいた人が異動となり自分がマネージャーになることになった。
視野を広げる良い機会だと思ったのを覚えている。立場が自分を成長させてくれるのではと思って、べき論だけで言えば話を受けたほうが良い。やりたいやりたくないを別としてと思った記憶がある。
やりたくないという思いはエンジニアリングから離れてしまう可能性を危惧してのことだったが、そんなのやれば良いんだろと思っていたな。こうやってプレイングマネージャーが生まれるのである。
そこから今5年ほど。色々とあったなと思うが、今この時間で思ったときに1、2年目のときほどの威力はないかなと感じている。
1、2年目はコンフォートゾーンの外側というかパニックゾーンだった気がするが、そこでの成長感覚はレベルが違う(用法用量を守らない動きだったからだとは思うが)
とか思っていたけど、単純に安定性を持った(個の成長と今の妻との生活が始まった)ために許容度が高まりコンフォートゾーンが広がっていたのかもしれない。
第5章 12年目にCTO
社内でE4という上位グレードになりたくてまずは事業部で成果を上げようと息巻いていた。
それもそれなりに上手く回ってかCTOにはなれた。よかった(?)
が、結局カーブアウトで出ていくので当初の目的(E4になりたい)は果たせないでの終わりとなるのが残念ではある。
カーブアウトにあたって、勝手に作っていた壁を破壊して昔の自分、つまりは本質的な自分の動きが戻った気はしており、これが元からできていればもしかしたら上がっていたのかもしれないなとは思った。なれる保証はないが道はそこだったのではないかという意図。結局自分の強みを活かさなきゃ何にもなれない。スプラも仕事もスポーツも個人の成長に関するものは全て一緒。
諸刃の剣ではあるが、マネージャーになる前の切れ味ある自分の良さを全面に出さなきゃ今の状態から変容はできないのだから良い機会だったのかも知れない。
成人発達理論を学ぶ過程のどこかであった気もしなくはないが、自分の普段が破壊されるようなデカいイベントで変容できるかは大事だよなと思った。
間章 その他の思い出
voyarockサークルの演奏
思い返したら思ったよりは演奏していた。
もっとしてないと思った。
思い出深いのは四魔貴族とsecret base。
四魔貴族はE4 2人に容赦なく鍛えられた四魔貴族、みたいな記憶がある(れぞのドラムが走ったのが悪い)
本番というよりはベース(?)弾けるhagino3000さんにそこまで弾けるようになりたいぼやいたら、弾けるようになればいいんだよと言われたのを今でも覚えてる。
ソフトウェアエンジニアからデータエンジニアに0からなった人に言われてぐうの音も出なかったが、自分が脳筋な気持ちもあるのでそれはそうかと思って今でも大事な気持ちとして持ち続けている。
出来ないなら出来るようになれば良い。出来ない理由を探している間に出来るためにどうするかを死に物狂いで考え行動することが大事であると思っている。
四魔貴族ピアノ演奏おすすめ
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secret baseは最後のサビ一個分まるまる飛んで練習と違う流れになりどうするんだこれ?となったが、ドラムとバイオリンのカバーでどうにかなったのも覚えている。
視聴者は自然で気づいてなかったような雰囲気だったのでおもしろかった。
secret baseピアノ演奏おすすめ
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忘れられない風景が、こんなささいなことなんておかしいよね。
終章 13年目の今カーブアウトに直面して
残る選択肢はあった。が、選ばなかった。
これは良くも悪くも自分が楽しかったあの頃はもうないと感じているのが大きいポイント。
書いていても思ったが、自分が好きで楽しかったあの頃というのは1、2年目であってもう今ではない。
今も楽しもうと思えば出来るが、自分にとって大事だったのは、"当時いた人々" だった。
技術力と人の両方が重要で、技術力は当然今でも周囲の人たちにもあるが、人は自分の思い出の中にいて、もうほとんどいなかったなと感じてしまった。思い出補正を超える思い出を作れていないと思った。
「思い出は優しいから甘えちゃダメなの」というFFⅩのフレーズがよくよぎるんだがその通りだなと思う。
今の環境に何を思っているのかを考え直した時、ただただその優しさに甘えていただけなんだなと思った。
それを踏まえてフラットに考えてどうするかなので、その中で自分が良いと思う選択肢を取っていき続けるだけだなと思って今は転籍の選択肢を取った。
その先で自分の大事なものは何かを考え行動し続けていきたい。
これも「予期された喪失」の対応として、なくなったものとして見ようとしている防御反応の可能性もあるが、今の自分の決断を信じてやっていきたい。
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まとめ
- 無理の仕方は間違えないように自分自身を注視しつつ、それでも泥臭くコンフォートゾーンの外側に居続け、自分の幅を広げよう
- 縁は人生を豊かにしてくれるので色んな関わりを持って会社の内外問わず思い出を作ろう
- クソお世話になりました!この恩は一生忘れません